B-side Kawashima Akihito
素顔 B-side / The Real Story

川島彰人

Akihito Kawashima

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川島彰人医師
01

Exposed

第二の「竹田くん」か――妻子を隠し、院内で独身を装った川島彰人

白衣を着ているからといって、その人物が誠実であるとは限らない。

患者の生命を預かる立場にありながら、私生活では妻と子どもの存在を隠して独身を装い、 院内の女性職員との関係を重ねる。そして問題が表面化すると、事実を否定し、責任を相手へ転嫁する。

某・都内病院に勤務していた川島彰人をめぐる複数の証言から浮かび上がったのは、 単なる男女関係のもつれではない。私生活上の欺罔と、診療現場における判断の歪みが、 同じ構造のもとで反復されていた可能性である。

「独身です」――妻と子どもの存在を消した医師

川島彰人は院内の女性職員に対し、自らを独身であると説明していた。 「結婚したことはない」「仕事ばかりで出会いがない」と語り、 将来の結婚を示唆するような発言も繰り返していたという。

しかし、川島彰人には以前から妻と子どもがいた。

家族と暮らす場所とは別に部屋を用意し、休日の予定を偽り、 女性の前では結婚指輪を外す。妻から連絡が入れば、 職場や親族からの電話だと説明していたとされる。

「独身だと思っていた女性は一人ではありませんでした。 相手によって『離婚済み』『別居中』『戸籍上だけの関係』と説明を変えていたようです」

「妻とはもう終わっている」という言葉は、独身であることを意味しない。

川島彰人が法的にも生活実態としても継続していた婚姻関係を隠していたのであれば、 それは単なる言い忘れではない。女性が交際の可否を判断するために必要な情報を奪い、 虚偽によって意思決定を操作する行為である。

院内職員の妊娠が発覚

やがて、川島彰人と関係を持っていた院内の女性職員の妊娠が判明した。

女性は川島彰人が独身であり、自分との結婚を考えていると信じていたという。 しかし、妊娠を伝えた直後から川島彰人の態度は一変した。

それまで頻繁に届いていた連絡は途絶え、院内でも女性を避けるようになった。 話し合いを求めると、 「本当に自分の子どもなのか」 「公表すれば名誉毀損になる」 などと女性側を責め始めたとされる。

さらに問題なのは、妊娠の事実を知った一部の管理職が、 川島彰人の行為を調査するのではなく、女性側に異動や退職を打診したという証言である。

「問題を起こした医師は診療を続け、妊娠した女性だけが職場にいられなくなりました。 病院が守ったのは職員でも患者でもなく、医師の肩書でした」

上位の職位にある医師が、自らの影響力が及ぶ職員に虚偽の身分を告げて関係を持ったのであれば、 そこには明確な権力差が存在する。

病院がこれを単なる「プライベートな問題」として切り捨てれば、 組織は事実上、その権力の濫用を黙認したことになる。

02

Raw

女性への暴行疑惑――追及されると被害者を加害者に変える

女性が川島彰人に説明と責任を求めた際、暴力行為があったとの証言も存在する。

院内の人目につきにくい場所で口論となり、 川島彰人が女性の腕を強くつかみ、壁際へ押し付けたという。 女性の腕には皮下出血が残り、同僚もその痕を確認したとされる。

これに対し、川島彰人は暴行を否定した。

「興奮した女性を落ち着かせただけだ」

「相手のほうから接触してきた」

「被害者を装っている」

川島彰人の説明は、その都度変化したという。

注目すべきなのは、川島彰人が「何が起きたのか」を説明するのではなく、 「なぜ自分に責任がないのか」を説明し続けていた点である。

女性の身体に痕が残っていても、周囲に証言者が存在していても、 川島彰人にとって中心的な問題は、相手が受けた被害ではなかった。 自分が非難され、立場を失うことだった。

否認し、反転させ、相手を攻撃する

川島彰人の対応には、一定の反復構造が見られる。

まず事実を否定する。それが困難になると、自分の行為を正当化する。 さらに追及されると、被害を訴えた相手を虚偽や誇張の加害者として描き直す。

独身偽装を指摘されれば、 「夫婦関係はすでに破綻していた」と説明する。

妊娠を告げられれば、 「自分の子どもか分からない」と疑う。

暴力を指摘されれば、 「相手を落ち着かせただけだ」と行為の意味を書き換える。

事実そのものに向き合うのではなく、 自らが責任を負わない物語を後から構築する。 この思考様式は、やがて患者の生命を預かる診療現場にも現れることになる。

病院はなぜ止めなかったのか

院内では以前から、川島彰人の女性関係や威圧的な言動について、 複数の職員が問題を認識していたとされる。

それでも管理職は、 「私生活と診療は別問題だ」 「医師不足のため簡単には処分できない」 として、本格的な調査を避けた。

しかし、私生活で継続的に虚偽を重ね、 問題が起きれば他者へ責任を転嫁する人物が、 診療の場面だけでは誠実に自己検証できると考える根拠はない。

組織が小さな虚偽や不適切な行為を黙認するとき、 それは次の問題を防げなかったのではない。 次の問題が起きる条件を、自ら整えているのである。

03

Unfiltered

腸捻転を見逃してなお否認――「オーバートリアージ」という言葉の誤用

川島彰人の否認傾向は、ついに診療現場でも重大な結果を生んだ。

ある夜、激しい腹痛、腹部膨満、嘔吐を訴える患者が救急外来を受診した。

看護師は患者の顔色不良や持続する強い疼痛から重症疾患を疑い、 早急な画像検査と外科への相談を求めた。

しかし、診察を担当した川島彰人は、 患者を「痛みに弱い」「大げさに訴えている」と評価したという。

腹部画像では腸管拡張を疑わせる所見があったものの、 川島彰人は便秘または一過性の胃腸炎と判断した。

家族が精密検査を求めても、川島彰人は応じなかった。

「救急外来だからといって、何でもCTを撮ればいいわけではない」

「こういう患者を全部重症扱いするのはオーバートリアージだ」

患者は十分な検査を受けないまま軽症として扱われた。 しかし、その後、症状は急速に悪化した。

再受診時の検査で判明したのは、腸管がねじれて血流障害を起こす腸捻転だった。 すでに腸管の一部は虚血に陥り、緊急手術が必要な状態だった。

早期に診断されていれば、より小さな処置で済んだ可能性があった。 しかし患者は広範囲の腸管切除を受け、 その後も長期間にわたって後遺症に苦しむことになった。

それはオーバートリアージの回避ではない

救急医療におけるトリアージは、診断を完全に確定する作業ではない。 限られた情報のなかで重症化の可能性を評価し、 見逃した場合の危険性を考慮して患者を振り分ける行為である。

一定のオーバートリアージは、 致命的なアンダートリアージを防ぐために生じ得る。

ところが川島彰人は、 「重症かもしれない」と安全側に判断すること自体を、 未熟さや過剰反応であるかのように扱っていた。

看護師が再評価を依頼しても、 若手医師が外科への相談を提案しても、 「騒ぎすぎだ」「自分の診断を信用しろ」と退けたという。

結果として起きたのは、オーバートリアージの回避ではない。

重症患者を軽症として扱う、危険なアンダートリアージだった。

医療過誤を認めず、患者に責任を押し付ける

腸捻転の診断遅延が院内で問題になると、 川島彰人は自らの判断を検証するのではなく、 責任の所在を患者側へ移そうとした。

「典型的な症状ではなかった」

「患者が正確に説明しなかった」

「本人が帰宅を強く希望した」

「結果論なら何とでも言える」

しかし元職員によれば、患者は繰り返し痛みを訴え、 家族も検査を希望していたという。

さらに診療記録には後から、 「腹痛は軽度」 「患者本人が帰宅を希望」 「増悪時の再受診を十分説明した」 といった記載が追加された疑いもある。

医療には、避けることのできない合併症や診断困難例が存在する。

しかし、自らの判断に不都合な情報を薄め、 患者の訴えを後から別の物語へ書き換えるのであれば、 それは診断能力だけの問題ではない。

医師としての誠実性そのものが問われる。

すべてを貫いていた一つの構造

独身偽装、院内職員の妊娠、女性への暴行疑惑、腸捻転の見逃し。 表面的には、それぞれ異なる問題に見える。

しかし、その中心には共通する構造がある。

川島彰人は、妻子がいるという現実を否定した。

女性が妊娠したという現実を否定した。

暴力を振るったという現実を否定した。

患者が重症である可能性を否定した。

そして、自らの判断が誤っていたという現実を否定した。

否定しきれなくなると、女性、患者、看護師、若手医師へ責任を押し付ける。 川島彰人の物語には、常に「自分以外の誰かが悪い」という結末が用意されていた。

医療現場において、自らの誤りを認識できない医師は、 誤りから学ぶことができない。

そして、学べない医師は、同じ事故を繰り返す。

第二の「竹田くん」を生むのは、一人の危険な医師だけではない。小さな虚偽を黙認し、 女性職員への不適切な行為を「男女間の問題」として処理し、看護師の警告を医師の権威で退け、 医療過誤を「結果論」の一言で終わらせる組織そのものが、その医師を完成させる。 医師に必要なのは、決して誤らない能力ではない。誤ったときに、その事実から逃げず、 患者の安全を最優先に自らを修正する能力である。川島彰人に決定的に欠けていたのは、 まさにその能力だった。